ほっとブログ

気ままに読書感想

【半身浴読書】伝わるちから

f:id:MLESNA:20210915004816j:plain〝こころを働かせる〟
とはどういうことだろう。

松浦弥太郎さんの書く文章には
〝こころ〟〝恋〟〝愛〟
といった、いかにも連想ゲームでピンク色に繋がりそうな言葉が頻出します。
しかしこれが全く胃もたれせず、美しい。

ひとつのはなしが長くても5ページ。
松浦さんの人生をあちこちタイムスリップしながら覗き見しているような感覚になるこの本は、きっと誰しもが一気に読めない。
ひとつのはなしを読んで、顔をあげる。
自分の経験と重ねて、味わう。
少し苦かったり痛かったり、ほんのり甘かったりする映像を浮かべながら、本に視線を戻す

例えば、
松浦さんが生まれて初めて〝手を使って〟作った紙の鎖(色紙を短冊状に切って、輪にして繋げていくアレ)のはなしをする。
顔をあげる。
自分が初めて手を使って作ったものは、
なんだっただろうか。

幼少期の記憶は、
強い衝撃が与えられたその瞬間から発生するとどこかで聞いたことがあります。
衝撃だったかはさておき、かくれんぼで見つけてもらえないまま忘れられていたことが、幼稚園時代ではトップクラスに鮮明な記憶です。
そしてもうひとつ覚えているのが、
お迎えのバス待ちの空き地。
シロツメクサがいっぱい生えていて、友だちはそれを花輪にして遊んでいました。
私もそれをマネするのですが、不器用で短気な性格なのでほんの数分で諦めてしまいます。

〝手を使って〟の一番古い記憶が諦めたものだと、なんとも渋い気持ちになります。
とはいえ諦めグセはいまも抜けないので、幼い自分に「頑張れ」とは言えそうもありません。
大人になっても、根っこはそんなに変わらないよ。とりあえずやってみよう精神で挑戦するところも、変わらない。これは好きなところ。

のぼせそうだったので、残り50ページ弱は明日のお楽しみとして諦めることにしました。
なにごとも〝ちょうどいい時間〟があるのだ。
(と、松浦さんも言っていた)

おやすみなさい。

【半身浴読書】そして生活はつづく

f:id:MLESNA:20210910031032j:plainいま、とても眠いです。


ブログの開設を思い立ってから、

気づけば2時間半も経ってしまいました。

どのサイトがいいのか

なにから始めればいいのか

右も左も分かりませんが思い立ったが吉日です。ほろよいの〝ゆずとはっさく🍊〟味を片手にとりあえずはじめてみます。(美味しいです)


私が半身浴読書を始めたきっかけは、

星野源さんのエッセイ本

『そして生活はつづく』

を購入したことから。

帯のひとことに「トイレか旅のお供にどうぞ」と書いてあったのが衝撃でした。

もし私が時間をかけて書いた本なら、できればトイレ以外のところで読んで欲しいと考えます。理想をいうなら、スターバックスの窓際の席で、カフェラテを片手に☕️

つまりトイレの対義語です。

私にとって読書は尊い時間であり、

どこか背筋が伸びる行為でもありました。


でも星野源がいうなら…

トイレで購入した本を読んでみました。

これが、面白い🚽


〝大人〟なら隠したくなるような失敗や恥ずかしいこと。かつ、誰でも思い当たる節があるようなことがぎゅっと詰め込まれています。

ここで思い出しました。

中学生頃まで、私はトイレで本を読んでいた。

長く座っていては痔になると母に叱られながら、3回の催促くらいではびくともせず。


調子を取り戻した私は、スターバックスで読んでは星野源に怒られるのではないかという思いとで、次の場所にお風呂場を選びました。

トイレ同様、長く浸かっていてはのぼせると母に叱られていた場所です。


星野源さんも、この本の中で母とのエピソードを多く記しています。一番好きなのは

過労で倒れた星野さんに母が言った

「あんた、生活嫌いだからね。

掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」

という言葉。

あの有名人でさえ、生活のことで親に叱られることがあるんだ。当たり前だけど。


この自由に外出できないご時世では

生活の存在感が大きすぎて

〝生きがい〟みたいなものが分からなくなるときがあります。

でもそっか。星野源も生活してるならいっか。

そう思えるような本でした。


おやすみなさい。